親なるもの断崖を電子書籍で読んでみた

曽根富美子さんの名作の一つ、親なるもの断崖をまんが王国の電子書籍で読んでみた。

昭和の初めの頃の遊郭をテーマにした漫画なのだが、これがなかなか悲惨な物語に仕上がっている。現代では考えられないような内容だが、当時はこういった貧しい家が娘を売りに出すということはたびたびおこなわれてきたのだろう。

この親なるもの断崖には、主に4人の女の子が登場する。4人とも青森の貧しい家から北海道室蘭の幕西遊郭に売られてきて、芸妓になったり女郎になったり、すぐに死んだりとそれぞれが大変な人生を辿ることになる。

なかでも、道子という女の子は病気のせいもあって同情するべき一生を送るのだが、登場人物の中では一番幸せだったのかもしれない。

この漫画のあらすじは、http://親なるもの断崖.biz というサイトで見ることが出来る。多少のネタバレも含まれているので、見ておくといいかもしれない。

一番悲惨なのは梅だろう。

生きていることそのものが「絶望」といえるような読めば読むほど凄まじい人生を送ったんだなと思わざるを得ない。もちろんフィクションなのであろうが、当時、梅と同じような人生を歩んだ女性がいたとしても全く不思議はない。

この漫画は、絶版になっているようなので、まんが王国の電子書籍で読んでみた。今の時代はスマホやタブレットで簡単にまんがを見ることが出来るし、小説なんかも読む事が出来るので本当に便利な世の中になったもんだと思う。

遊郭に売られた、松恵、梅、武子、道子が生きていた時代と比べればとてつもなく豊かになったし、人間も少しは成長してきたんだろう。

親なるもの断崖というタイトルは、実際に室蘭にある岬「親である断崖」と「子である断崖」から来ているんだそう。昭和の初期、日本でもこんな出来事があったんだという事を知るためにも読んでおいた方がいいかもしれない。

スカーフは「絹が最高」はとんだ誤り

スカーフを使いこなせたらオシャレのしかたも一人前といえるほど簡単なようで難しいのがスカーフの使い方。

結び方もいろいろで、スーツの下にさりげなく首に巻く基本スタイルから、蝶結びやスカーフ留めで胸のあたりで結ぶもの、胸飾りのように複雑なたたみ方で華やかなイメージを与えるものなどさまざまだ。

オードリー・ヘップバーンのように、頭にかぶり後ろで結んで、サングラスをかけた姿がキマるようになったら、文句なく上級者だ。

もともとスカーフは、帽子の代用品として外出時に風などでヘアスタイルが乱れるのを防ぐために人気が出たといってもいい小物のひとつ。

たとえば、夏なら薄手の生地、冬なら厚手の生地という具合に、季節によっても、もちろんスカーフの生地はかわってくるものだが、昔はどの布を使っているかで身分がわかるとされるほど、スカーフの生地には重要な意味があった。

上流階級ならウール、成り金が好むのはシフォン、中流の上クラスだと絹、中流かあるいは芸術家を気取りたい人は木綿、労働者なら使い勝手のよい合成繊維というのが、一九六〇年代以前の欧米社会の常識だったのである。「スカーフは絹じゃなきや、安物よね」と思いこんでいた人はいませんか。シルクスカーフが最上級と思いきや、じつはウールのスカーフのほうが格が上だったのだ。

ちなみに、スカーフといえば、エルメス社のスカーフをまずはいちばんに思い浮かべるが、エルメス社といえば「カレ」とよばれる、一辺90センチメートルの正方形のシルクスカーフが有名。

あの一流のエルメス社がシルクを使っているのだから、いまではシルクスカーフが主流となっているのは間違いないだろう。

ある年の記録によると、エルメス社のパリ本店では、クリスマスイブの日に、プレゼントとしてスカーフを買い求める人が、14秒に1人いたというほど、人気のある商品だそうだ。

サスペンダーの本式の使い方、教えます

昔は、サスペンダーといえば、フトッチョのおじさんがズボンがずり落ちるのを防ぐためにやむをえずつける実用品たった。

それが20年ぐらい前のディスコでは、真っ白なシャツと組み合わせて、アクセサリー感覚でつけるオシャレな小物として脚光を浴びるようになった。

身につける人によって、同じ小物でも、こんなに雰囲気がちがうのかな、と感心していたが、サスペンダーの本式の着用方法は、このどちらともちがう。

じつは、サスペンダーとは本来は、女性のガーターベルトと同じ役目のもの。
つまり、下着の一部とみなされる代物で、堂々と人様にお見せする行為は、“はしたない”ことなのだ。だから、サスペンダーを留めるボタンだって、ズボンの表側に留めるのはルール違反。こっそりと人目につかぬようにズボンの裏側に留めるのが正式だった。

それがいまでは、「俺はサスペンダーをしているよ」と、見せて全然恥ずかしがらないどころか、これ見よがしにつけている人たちばかりになってしまった。本当ならパンツを見せて歩いているようなものなのに……。

もっとも、あえてガーターベルトやビスチェを表に出して着るファッションがウケるご時世だから、サスペンダーがアクセサリーとして台頭してきても不思議はない。ファッションの常識は、時代とともにかわるというわけだ。

さて、ずいぷんと役目がかわってきたサスペンダーだが、ふたつのタイプがあるのをご存じだろうか。クリップ式のモダンータイプと、ボタンで留めるクラシックータイプだ。

便利さで選ぶなら、断然モダンータイプだが、オシャレにうるさい達人には、クラシックータイプが人気。しかも、アメリカのトラファルガー社のものがイチ押しとされている。

ファッションの常識はかわろうとも、オシャレ人間のこだわりは、いまも昔もかわらないようだ。

スーツの色でわかる性格判断

オリンピックの日本選手団の制服といえば、東京オリンピック以来、赤と白が基調である。赤いブレザーに白いパンツなんて、芸がないといえばこれほど芸のないファッションも珍しい。

心理学者によると、赤い色が好きな人は、立身出世欲が人一倍強く、仕事はあまりできるほうではないのに目立ちたがり屋だという。
なるほど、日本選手にピッタリの分析だといったら、選手にはかわいそう。決めたのはもちろん上のエライ方々で彼らにはなんの罪もないのだから。

という話はともかく、スーツの色でサラリーマンの性格がわかるというのだから、日ごろどんな色のスーツを着て歩くかは、そうおろそかにはできない。

さて、サラリーマンといえばドブネズミ・ルックと相場が決まっている。グレー系だ。この色を好むのは標準型で、人の信頼に応え、遅れず、休まず、人並に働くというタイプだそうだ。

紺系を好む人は、真面目なタイプが多いが、根底には不満が溜まっていることがある。

茶系統の人は、好き嫌いが激しく、幼児性格的なところがあるとか。自分ではなにも決められず、周囲を気にする。

この三色で日本のサラリーマンの九割方はカバーしているはず。したがって、日本のサラリーマンの性格は、地味で真面目で少し幼児的であるといえば、ほぽいいつくしたことになってしまう。

個人主義よりも集団の和が尊ばれるお国柄だから、みんな、より目立だない工夫をしたがる。その結果が、グレーと紺と茶という三大色になったわけだ。

ところで学者の説によれば、グレーを好む人は敵にするとしつこいので要注意だそうだ。紺系の人はぐちっぽく、茶は感情的になりやすい。

つまり、会社の上司と付き合う場合、グレー系の人を間違っても敵にしないこと。なにげなく酒場で同僚にしゃべった悪口が伝わって、以来、なにかと居心地が悪くなったという人もいる。

紺系の上司はサラッとした付き合いを。案外しつこい性格だから、深みにはまると危ない。

そして茶系統を好む上司に対しては、自分の意見をいう場合も、相手を立てながらいわなければならないという高等テクニックが必要になる。

万年筆がステータスーシンボルといわれる理由

いま20代以上の人なら、万年筆を入学祝いにもらったり、名前を彫りこんでもらったりして大事にした思い出をもつ人も多いのではないだろうか。

いまはボールペンやシャープーペンシルの手軽さが受けて、万年筆の人気は下降気味である。

しかし、たとえばクリントン大統領と細川前首相が声明を発表し、サインするときに登場するのは万年筆だ。

こういう場面にボールペンやシャーペンは役不足である。

1本100円也の書きやすいボールペンが普及し、消耗品的なイメージの強くなったほかの筆記具一般に対して、万年筆はただ書くだけの道具でなく、愛蔵品として、あるいはステータスーシンボルとしての地位を保持している。

軸が太くてもちやすい、作家に愛用者が多いモンブランの「マイスターシュテュツク」は五万円ぐらいから。
クラシックなデザインが人気のパーカー社の「デュオフォールド100」は六万円ぐらい。

パイロットの前身である並木製作所とダンヒルが提携してつくったダンヒル・ナミキの蒔絵万年筆というのもあったし、ダイヤをちりばめたものもあった。

もちろん、高級品ばかりでなく、一般人にも買える商品もたくさんある。しかし、万年筆の専門家の話では、1万円の万年筆はいくら調整しても3万円の万年筆にはかなわないとか。

投資した値段が、そのまま正直に使いやすさに反映する。それが万年筆という小物なのである。事務的なワープロ文字に没個性を感じ、またどう書いてもみんな同じ太さになってしまうボールペンやサインペンに飽き足らなくなったら、ペン先から個性的なりズムや味わいを生み出してくれる万年筆にもどるしかないのかもしれない。

ポロ競技から生まれたブルックス社の看板シャツ

シャツといえば、ブルックスーブラザーズと決めている殿方も多いほど、シャツの老舗の感が強いブルックス社。とくに、オウンーメイクと称される、そこかしこを、きめ細かい手作業で仕上げたシャツには、織りネームにメーカーズと特別に記され、代表的なブランドとなっている。

さて、このブルックス社の社長であったジョンーブルックス氏が社長引退後に、ポロ競技の試合を見ていて、はたとある考えが閃き、そのアイデアで大ヒットしたシャツがある。「ポロと関係があるから、そうだ、ポロシャツだ」と思うなかれ。じつはボタンダウン・シャツが正解なのだ。時は、20世紀はじめのこと。

当時のポロ選手は、激しいパドルのためにシャツの襟がピラピラして、競技の邪魔にならないように、試合中は、襟をボタンで留めていた。これを見たジョン氏は、これだ、とピンときたのだ。襟をボタンで留めてしまう、そんな斬新なシャツをつくってみようと。しかもそのシャツは、ポロなどのスポーツ用ではなく、まったくの街着として売り出してみようと。

スポーツ用でもないのに、わざわざ襟をボタンで留めてなんのメリットがあるのだろうか? 当時、そう考えた人もいたかもしれない。

けれど、襟をボタンで留めることによって、襟がスッキリと立つようになり、形の美しさが際立つだのはたしかだった。しかも、しっかりとボタンで留めてあるので、途中で襟の形が崩れることもない。

さらに、第一ボタンだけわざとはずしてみると、襟の下の部分が身頃に引きつけられて湾曲し、またちがった襟の形をつくるのだ。

ブルックス社のボタンダウンーシャツは、第1ボタンと第2ボタンの間が、第3ボタン以下の間隔にくらべて、わざと広くなっている。これは、第一ボタンをはずしたときにも、襟の形が美しく見えるようにと計算された結果なのだ。

懐かしい感のあるボタンダウンーシャツだが、こういう正統派のシャツなら、流行に惑わされず長いおつきあいをしたいものだ。

これが魅せるボディラインヘの執念が生んだ下着

ココーシャネルによって女性はコルセットから解放されたといわれるが、そのコルセットが生まれたのは一六世紀になってからのことだった。
しかし、それはあくまでも「コルセット」という名称のものが生まれたのがそうなのであって、実際には、その歴史はさらにさかのぼることができる。本来コルセットは、胸から腰にかけての体型を整えるためにもちいるものであるが、なんと、古代エジプトの時代にも、女性が体型を整えるために布を巻いた、ということがあったらしい。

つまり女性は「くびれたウェスト」をつくるべく、自らの肉体を数千年にもわたって締め上げてきたわけである。

そして、それはいまもかわりがない。

ピッチピチのガードルを脱がすのに汗をかいたという男性も少なくないと思うが、そのガードルが胸の下にまでも続いているという「ウェストニッパー付きガードル」というのがあるそうな。ボディコン娘御用達のソレは、ホックで留めるものが主流だが、本格派はクラシックなヒモでサイズ調節可能なものを選ぶそうだ。

ところで、「くびれたウェスト」は、豊満な胸とムッチリしたお尻の間にあってこそ、「くびれた」状態になるのであり、そのためには、「よせて、あげて」のブラはもとより、尻あてパッドも必需品となる。この尻あてパッドは、肩パッドをお尻のバックとサイドにつけるようなもので、ヒップの丸みがでるのはモチロンのこと、腰の位置が高くなるので足まで長く見えるという超お得なオマケ付き。

それにしても、そこまでしてつくりあげたカラダ。いざ、というとき(つまり、裸になったとき)はどうするつもりなんでしょうネ?

ロエベ社の革カバンの美しさはどこから生まれた?

はるか昔、砂漠を横断するシルクロードを通って中国からヨーロッパなどに運ばれた絹は、贅沢品の最たるものだった。

いまでは、生産技術が進み、ずいぶん気軽に手に入るようになったとはいえ、絹のもつあの柔らかな光は、女性たちを魅了してやまないのはたしかだ。

ところで、そんな絹の美しさを、革のバッグで表現したカバンメーカーがある。スペインが誇るロエベ社だ。

ロエベ社のバッグは、しなやかさが売り物で、スペイン王室御用達にもなっている一級のブランド品だ。

ロエベの定番ともいえる、かわいらしい三角バッグで24万5000円、ポストンバッグの小型のもので14万1000円と、値段のほうも一級だが、その革のなめし技術には独特の技法をもちいていることで有名である。

その秘訣は、はるか昔、イベリア半島を支配したムーア人の技術にさかのぼる。ドイツの皮革職人であったエンリケーロエベーロスバーグは、さまざまな上地を巡  りながら、その腕を磨いていたが、彼のインスピレーションを刺激したのが、ムーア人が使っていた独自のなめし技術だった。

そして、ロエベは即座にスペインのマドリッドに工房を構えた。1846年のこ  とだ。それまで各地を転々としていた彼が、迷わず工房を開いたことからも、いかに、その技術に心酔していたかがわかるだろう。

その後、1887年に第1号の店がオープン。1905年には、スペイン王室御用達となり、スペインを代表するレザーグッズとしての地位を与えられた。

ロエベ社のモットーは、「革に忠実」であること。これは、1890年に標語として唱えられて以来、いまもかわらずに受け継がれている精神だ。シンプルなデザインと、上質の革の絹の光沢が調和した上品なバッグは、この精神の元で生まれてきたものだ。

王室御用達になって以来「ロエベの工房を訪ねる王妃の姿をたびたび見かけることができる」といわれるほど、王妃たちに愛されてきたロエベのバッグ。女性ならばぜひ手に入れたい一品だ。

なぜ女性はハンドバッグを持つようになったのか?

近所へちょっとした買い物にいくときは別としても、いまでは、たいていの女性は外出時にハンドバッグをもつ。出かける際には、なくてはならない存在のハンドバッグだが、いったいいつから女性はバッグをもって歩くようになったのだろうか。

ハンドバッグ、読んで字のごとく、手にもつバッグと解釈すれば、18世紀から19世紀に登場した、小型の「レティキュール」というバッグが起源といえる。

このタイプのバッグを女性たちは20世紀のはじめごろまでもち歩いていたが、人気のほうは、より小さなバッグヘと移っていった。

さて、現在のようなコンパクトなハンドバッグが登場するのは、20世紀初頭。というのも、そのころになると、カラダのラインに密着したシルエットの美しい服が好まれるようになり、ちょっとした小物類でもポケットをふくらませて歩くのは、カッコ悪いとされたからだ。

そこで、必然的に、身のまわりのものをバッグに詰めて、外出するようになり、ハンドバッグは、女性にとってファッションの一部としてのアクセサリー的役割も果たすようになったというわけである。

男性がバッグをもち歩くようになったのは、もっと歴史は古く、13世紀ごろ。といっても、これは、革でできたポーチのようなもので、裕福な男性が、貧しく困っている人々にお金やものを与えるために腰に下げてもっていたもの。このポーチは、オールモニエールとよばれ、16世紀ごろまでは、紳士の持ち物のひとつだった。

現在、使われているようなマンバッグが登場したのは、1968年のこと。このタイプは、肩掛け式になっていた。

ちなみに、ハンドバッグのことを短縮して、通常、バッグとよぶことが多いが、パースともいう。このパースはラテン語のbursaが語源。また、アメリカでは、ポケットブックともよぶ。

ダンディズムを主張する腕時計の選び方とは

腕時計は、あまりにも日用品になりすぎて、ついついアクセサリーの一部だということを忘れてしまいそうだが、じつはりっぱな宝飾の一部だ。まさか、ビシッときめたスーツのときにミッキーマウスの時計をしている人はいないだろうが、はめるときにはそれ相応のルールがある。大人の男を気取る人のために、基本中の基本をお教えしよう。

まず、ビジネススーツの場合は、デジタル時計よりもアナログ時計、クォーツよりも手巻き式のほうが正統。さらにほかの人と差をつけたいならば、秒針を別にセットしたスモールーセコンドタイプがよいとされる。通になると、数字はローマ字表記を愛用する人が多い。

もっとあなたがお金に余裕のある人間だったら、アンティークな時計をさりげなくはめると、ぐっと男前もあがるだろう。

そして気をつけてほしいのが、どんな色を選ぶかということ。色は、個人の好みがもっとも出やすいものだが、やはりここはトータルコーディネートの意味でも、カフスやベルト、靴とは同系色のものを揃えることが条件だ。
こうしてみると、わかりきったことのようだが、よくよく観察してみると、ビジネススーツにデジタル時計の人が意外に多い。

クールなビジネスの世界にいては、見やすさがいちばん、というのももっともである。

しかし、オシャレの達人を目指すなら、少々不便ではあっても、”スーツにはアナログ”というようなこだわりをもつ心意気こそが、ダンディーの条件かもしれない。